読書メモ。
- イシューからはじめよ - 知的生産のシンプルな本質
- https://eijipress.co.jp/products/2356
イシューとは、「2 つ以上の集団の間で決着のついていない問題」であり「根本に関わる、もしくは白黒がはっきりしていない問題」の両方の条件を満たすもの。世の中で問題だと思われていることのほとんどは、 イシュー(今この局面でケリをつけるべき問題)ではありません。 本当に価値のある仕事は、イシューの設定から始まります。
優れた知的生産に共通すること #
僕がこれまでに見てきた「圧倒的に生産性の高い人」にひとつ共通していることがある。それは、彼らが「ひとつのことをやるスピードが 10 倍、20 倍と速いわけではない」ということだ。この気づきをきっかけに「彼らは何が違うのだろう?」「知的生産の本質って何だろう?」という問いへの答えをずいぶん長い間探し求めてきた。
「イシューとは何か」。それについてはこの本を通してじっくり説明していくが、実際のところ、「何に答えを出すべきなのか」についてブレることなく活動に取り組むことがカギなのだ。イシューを知り、それについて考えることでプロジェクトの立ち上がりは圧倒的に速くなり、混乱の発生も予防できる。
悩まない、悩んでいるヒマがあれば考える #
「<考える>と<悩む>、この2つの違いは何だろう?」僕の考えるこの2つの違いは、次のようなものだ。
- 「悩む」=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること
- 「考える」=「答えが出る」当前提のもとに、建設的に考えを組み立てること
悩むことには一切意味がないと思っている。特に仕事(研究も含む)において悩むというのはバカげたことだ。仕事とは何かを生み出すためにあるもので、変化を生まないとわかっている活動に時間を使うのはムダ以外の何ものでもない。これを明確に意識しておかないと「悩む」ことを「考える」ことだと勘違いして、あっという間に貴重な時間を失ってしまう。
僕は自分の周りで働く若い人には「悩んでいると気づいたら、すぐに休め。悩んでいる自分を察知できるようになろう」と言っている。「君たちの賢い頭で 10 分以上真剣に考えてらちが明かないのであれば、そのことについて考えることは一度止めたほうがいい。それはもう悩んでしまっている可能性が高い」というわけだ。
「悩む」と「考える」の違いを意識することは、知的生産に関わる人にとっては重要だ。ビジネス・研究ですべきは「考える」ことであり、あくまで「答えが出る」という前提に立っていなければならない。
常識を捨てる #
- 「問題を解く」より「問題を見極める」
- 「解の質を上げる」より「イシューの質を上げる」
- 「知れば知るほど知恵が湧く」より「知り過ぎるとバカになる」
- 「1つひとつを速くやる」より「やることを削る」
- 「数字のケタ数にこだわる」より「答えが出せるかにこだわる」
バリューのある仕事とは何か #
バリューの本質は2つの軸から成り立っている。「その問題に答えを出す必要性の高さ(=イシュー度)」そして「その問題に対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い(=解の質)」となる。バリューのある仕事をしようと思えば、取り組むテーマは両方高くなければならない。
踏み込んではならない「犬の道」 #
ではどうやったら「バリューのある仕事」ができるのだろうか?仕事や研究をはじめた当初は誰しも「イシュー度」「解の質」が低い領域からスタートするだろう。ここで絶対にやってはならないのが、「一心不乱に大量の仕事をしてバリューのある仕事に辿り着こうとする」ことだ。「労働量によって解決しよう」というこのアプローチを僕は「犬の道」と呼んでいる。
ここは大事なところなので、じっくりと読んでほしい。
世の中にある「問題かもしれない」と言われていることのほとんどは、実はビジネス・研究上で本当に取り組む必要のある問題ではない。世の中で「問題かもしれない」と言われていることの総数を 100 とすれば、今、この局面で本当に白黒をはっきりさせるべき問題はせいぜい2つか3つくらいだ。
「イシュー度」の低い問題にどれだけたくさん取り組んで必死に解を出したところで、最終的なバリューは上がらず、疲労していくだけだ。この「努力と根性があれば報われる」という戦い方では、いつまで経ってもバリューのある領域には届かない。
これでは永遠に「バリューのある仕事」は生み出せないし、変化を起こすこともできない。ただ徒労感が残るだけだ。しかも、多くの仕事を低い質のアウトプットで食い散らかすことで、仕事が荒れ、高い質の仕事を生むことができなくなる可能性が高い。つまり「犬の道」を歩むと、かなりの確率で「ダメな人」になってしまうのだ。
100 歩譲って、あなたが人並外れた体力と根性の持ち主で、「犬の道」を通っても成長できたとしよう。だが、その後、あなたはそのやり方でしか部下に仕事を教えることができなくなってしまう。つまり、リーダーとしては大成できない。というわけで、単なる努力で、「バリューのある仕事」の領域に行けることはほぼあり得ないし、この道を歩むことはあなたの将来のリーダーとしての芽を摘む行為でもある。
本当に「バリューのある仕事」の領域に近づこうとするなら、採るべきアプローチは極めて明快だ。まずは「イシュー度」を上げ、そののちに「解の質」を上げていく。つまりは「犬の道」と逆のアプローチを採ることだ。まず、徹底してビジネス・研究活動の対象を意味のあること、つまりは「イシュー度」の高い問題に絞る。
いきなり核となる問題に絞り込むことはできなくても、10 分の 1 程度に絞り込むことはできるはずだ。仕事を始めたばかりでこの判断ができないなら、自分の上司なり研究室の指導教官なりに聞けば良い。「自分が思いついた問題のなかで、本当にいま答えを出す価値のあるものはなんでしょうか」と。通常この判断ができるのが上司であり指導教官のはずだ。これでひとつの問題に投下できる時間は簡単に 10〜20 倍になる。
次に、絞り込まれたなかで特に「イシュー度」の高い問題から手をつける。この場合、「解きやすさ」「取り組みやすさ」といった要因に惑わされてはならない。あくまで「イシュー度」の高い問題から始める。
最初は「質が低い」「必要なレベルに到達していない」と言われても、その意味が実感できないものだ。だが、絞り込んだイシューについて検討・分析を繰り返し行うことで、数十回に1度程度はよいものができる。よい仕事をし、周囲からよいフィードバックを得ることで、はじめて人は「解の質」を学ぶことができる。成功体験を重ね、だんだんとコツをつかむなかで、10 回に1度、5回に1度と一定レベルを超えた ”使える” 解を生み出せる確率が上がっていく。
このアプローチのためには、どうしても最初のステップ、すなわち「イシュー度」の高い問題を絞り込み、時間を浮かせることが不可欠なのだ。「あれもこれも」とがむしゃらにやっても成功はできない。死ぬ気で働いても仕事ができるようにはならないのだ。
「圧倒的に生産性の高い人」のアプローチ #
圧倒的に生産性の高い、すなわち「イシューからはじめる」アプローチではどうなるだろうか。1週間でアウトプットを出さなければならないケースなら、次のように作業を割り振る。
- 月曜:イシュードリブン - 今本当に答えを出すべき問題=「イシュー」を見極める
- 火曜:仮説ドリブン ① - イシューを解けるところまで小さく砕き、それに基づいてストーリーの流れを整理する
- 火曜:仮説ドリブン ② - ストーリーを検証するために必要なアウトプットのイメージを描き、分析を設計する
- 水・木曜:アウトプットドリブン:ストーリーの骨格を踏まえつつ、段取りよく検証する
- 金曜:メッセージドリブン:論拠と構造を磨きつつ、報告書や論文をまとめる
とはいえ、どれほど経験を積んでも、これを一回しするだけでいきなりレベルの高いアウトプットを生み出すことは難しい。大事なのは、このサイクルを「素早く回し、何回転もさせる」ことだ。これが生産性を高めるカギとなる。一度サイクルを回して一段深い論点が見えてくれば、それをベースにして再度サイクルを回す。
根性に逃げるな #
労働時間なんてどうでもいい。価値のあるアウトプットが生まれればいいのだ。たとえ1日に5分しか働いていなくても、合意した以上のアウトプットをスケジュールどおりに、あるいはそれより前に生み出せていればなんの問題もない。「一所懸命にやっています」「昨日も徹夜でした」といった頑張り方は「バリューのある仕事」を求める世界では不要だ。最悪なのは、残業や休日出勤を重ねるものの「この程度のアウトプットなら、規定時間だけ働けばよいのでは」と周囲に思われてしまうパターンだ。
プロフェッショナルとしての働き方は、「労働時間が長いほど金をもらえる」というサラリーマン的な思想とは対極にある。働いた時間ではなく、「どこまで変化を起こせるか」によって存在意義が決まる。
イシューを見極める #
問題はまず「解く」ものと考えがちだが、まずすべきは本当に解くべき問題、すなわちイシューを「見極める」ことだ。ただ、これは人間の本能に反したアプローチでもある。詳細がまったくわからない段階で「最終的に何を伝えようとするのかを明確に表現せよ」と言われたら、きちんとものを考える人であればあるほど生理的に不愉快になるだろう。よって、「やっているうちに見えてくるさ」と成り行きまかせが横行するが、(多くの人が経験しているとおり)これこおsがムダが多く生産性の低いアプローチだ。あるいは「やらなくてもわかっている」とイシューを見極めるステップを飛ばすことも同じように失敗のもとだ。
「これは何に答えを出すためのものなのか」というイシューを明確にしてから問題に取り組まなければあとから必ず今来が発生し、目的意識がブレて多くのムダが発生する。ビジネスであれ研究であれ、1人で取り組むことはほとんどないだろう。チーム内で「これは何のためにやるのか」という意思統一をし、立ち返れる場所をつくっておく。一度で十分でない場合はなんどでも議論する。これはプロジェクトの途中でも同様だ。全員の理解がブレていないかを再確認する。
仮説を立てる #
イシューの見極めについては、「こんな感じのことを決めないとね」といった「テーマの整理」程度で止めてしまう人が多いが、これではまったく不足している。実際の検討をはじめてから再度「イシューは何だろう」と考えているようではいくら時間があっても足りない。こうしたことを避けるためには、強引にでも前倒しで具体的な仮説を立てることが肝心だ。「やってみないとわからないよね」といったことは決して言わない。ここで踏ん張りきれるかどうかが、あとから大きく影響してくる。
なぜか?理由は3つある。
1.イシューに答えを出す
そもそも、具体的にスタンスをとって仮説に落とし込まないと、答えを出しえるレベルのイシューにすることができない。たとえば「〇〇の市場規模はどうなっているのか?」というのは単なる「設問」に過ぎない。ここで「〇〇の市場規模は縮小に入りつつあるのではないか?」と仮説を立てることで、答えを出し得るイシューとなる。仮説が単なる設問をイシューにするわけだ。
2.必要な情報・分析すべきことがわかる
仮説を立てない限り、自分がどのレベルのことを議論し、答えを出そうとしているのかが明確にならず、それが明確になっていないことにすら気づかない。仮説を立てて、はじめて本当に必要な情報や必要な分析がわかる。
3.分析結果の解釈が明確になる
仮説がないまま分析をはじめると、出てきた結果が十分なのかそうでないのかの解釈ができない。その結果、労力ばかりかかることになる。
…
日本の会社では、「〇〇さん、新しい会計基準についてちょっと調べておいて」といった仕事の振り方をしているのを目にする。だが、これではいったい何をどこまで、どのようなレベルで調べればよいのかがさっぱりわからない。ここで仮説が登場する。
- 「新しい会計基準下では、我が社の利益が大きく下がる可能性があるのではないか」
- 「新しい会計基準下では、我が社の利益に対する影響が年間 100 億円規模あるのではないか」
- 「新しい会計基準下では、競合の利益も変動し、我が社の相対的地位が悪化するのではないか」
- 「新しい会計基準下では、各事業の会計管理・事務処理において何らかの留意点をもつことで、ネガティブな影響を最低限にできるのではないか」
このくらいのレベルまで仮説を立てて仕事を与えられれば、仕事を振られた人も自分が何をどこまで調べるべきなのかが明確になる。答えを出すべきイシューを仮説を含めて明確にすることで、ムダな作業が大きく減る。つまり生産性が上がるのだ。
何はともあれ「言葉」にする #
イシューが見え、それに対する仮説を立てたら、次にそれを言葉に落とす。「これがイシューかな?」「ここが見極めどころかな?」と思ったら、すぐにそれを言葉にして表現することが大切だ。
なぜか?それはイシューを言葉で表現することではじめて「自分がそのイシューをどのようにとらえているのか」「何と何についての分岐点をはっきりさせようとしているのか」ということが明確になるからだ。言葉で表現しないと、自分だけでなくチームのなかでも誤解が生まれ、それが結果として大きなズレやムダを生む。
言葉にするときに詰まる部分こそイシューとして詰まっていない部分であり、仮説をもたずに作業を進めようとしている部分なのだ。
人間は言葉にしない限り概念をまとめることができない。「絵」や「図」はイメージをつかむためには有用だが、概念をきっちりと定義するのは言葉にしかできない業だ。言葉<数式・化学式を含む>は、少なくとも数千年にわたって人間がつくりあげ磨き込んできた、現在のところもっともバグの少ない思考の表現ツールだ。言葉を使わずして人間が明晰な思考を行うことは難しいということを、今一度強調しておきたい。
言葉で表現するときのポイント #
イシューと仮説を言葉で表現するときの注意点を挙げておきたい。
「主語」と「動詞」を入れる
言葉はシンプルであるほどよい。主語と動詞を入れた文章にするとあいまいさが消える。
「WHY」よりも「WHERE」「WHAT」「HOW」
よいイシューの表現は、「〜はなぜか?」ではなく次のかたちをとることが多い。
- 「WHERE」…「どちらか?」「どこを目指すべきか?」
- 「WHAT」…「何を行うべきか?」「何を避けるべきか?」
- 「HOW」…「どう行うべきか?」「どう進めるべきか?」
「WHY」という表現には仮説がなく、何について白黒をはっきりさせようとしているのかが明確になっていない。
比較表現を入れる
文章のなかに比較表現を入れる、というのも良いアイデアだ。「A か B か」という見極めが必要なイシューであれば、「〜は B」というより「A ではなくて、むしろ B」という表現にする。
たとえば、あるしん製品開発の方向性のイシューの場合であれば、「てこ入れすべきは操作性」というよりも、「てこ入れすべきは、処理能力のようなハードスペックではなく、むしろ操作性」としたほうが何と何を対比し、何に答えを出そうとしているのかが明確になる。可能であればぜひ使いたい技だ。
なんちゃってイシュー #
ある飲料ブランドが長期的に低迷しており、全社で立て直しを検討しているとする。ここでよくあるイシューの候補は「<今のブランドで戦い続けるべきか>もしくは<新ブランドにリニューアルすべきか>」というものだ。
だが、この場合、まずはっきりさせるべきはブランドの低迷要因だろう。「<市場・セグメントそのものが縮小している>のか<競合との争いに負けている>のか」がわからないと、そもそもの「<ブランドの方向性の修正>がイシューなのか」という判断ができない。
仮に市場・セグメントそのものが縮小しているのであれば、通常、ブランドの修正以前に狙うべき市場そのものを見直さなくてはならない。こうなると、「ブランドの方向性の修正」は、イシューでもなんでもなくなってしまう。こういう一見もっともらしい「なんちゃってイシュー」を最初の段階できちんとはじくことが大切だ。
その局面で答えを出す必要のないもの、答えを出すべきでないものは多い。「イシューらしいもの」が見えるたびに、「本当に今それに答えを出さなくてはならないのか」「本当にそこから答えを出すべきなのか」と立ち返って考える。これで、あとあとあれはやる必要がなかったと公開するようなムダを減らすことができる。
答えを出せるのがよいイシュー #
本質的であり深い仮説を立てたとしても、検証ができないのであればよいイシューではない。どのようにアプローチしようにも既存のやり方・技術では答えを出すことはほぼ不可能という問題は多い。
たとえば、これは当時天才の名をほしいままにしていたファインマンから山根徹男が聞いたというものだ。
「確かに<重力も電磁気的な力も3次元の空間になりながら、距離の二重に反比例する>というのは非常に興味深い現象だ。ただ、このような一見当たり前に見える問題には関わらないほうがよい。現在のところ、答えが出せる見込みがほとんどないからだ。」
この問題は 60 年ほどたった今でも、数多くの天才たちの手を通り抜けたままのはずだ。ファインマンは正しかった。科学の世界では、実際に答えを出し得る手法が見えないために、昔から謎であることがわかっているのに手つかずの問題、というものが多い。ビジネス上でも、こうした問題は山積みだ。
ありふれた問題に見えても、それを解く方法がいまだにはっきりしない、手をつけないほうがよい問題が大量にある、というのは重大な事実だ。また、他人には解けても自分には手に負えない問題、というのもある。気軽に取り組んだはいいが、検証方法が崩壊した場合には、時間の面でも手間の点でも取り返しのつかないダメージになりかねない。「答えが出せる見込みがほとんどない問題」を事実として認識し、そこに時間を割かないことが重要だ。
「現在ある手法、やり方の工夫で、その問いに求めるレベルの答えを出せるのか」。そうした視点で見直してみることが肝要だ。
イシュー特定のための情報収集 #
イシューと仮説を発見するための「材料」をどのように仕入れるのかを考えてみたい。
コツ1:一次情報に触れる
一次情報というのは、誰のフィルターも通っていない情報のことだ。「優秀」とか「頭が良い」と言われている人ほど頭だけで考え、一見すれば効率の良い読み物などの二次情報から情報を得たがる傾向が強い。そして、それが命取りになる。肝心の仮説を立てる際に「色眼鏡をつけて見た情報」をベースにものを考えることになるからだ。
現場で何が起こっているのかを見て、肌で感じない限り理解できないことは多い。一見関係のないものが現場では隣り合わせで連動している、あるいは連動しているはずのものが離れている、といったことはよくあるが、これらは現場に出向かない限り理解することができない。間接的な報告や論文などの二次的情報では決して出てこないところだ。
「現実」は、それを直接見ない人には認知できない。よって、数日間は集中的に一次情報に触れることをお勧めしたい。これが実際に僕らに起っていること、本当のことに対する肌感覚を与え、明確な仮説を立てるための強い指針を与えてくれる。
なお、これらの現場に出て、一次情報に触れた際には、現場の人の経験から生まれた知恵を聞き出してくる。読み物をどれだけ読んでもわからない勘どころを聞き、さらにはその人がどのような問題意識をもっているかを聞いておく。現在の取り組みにおけるボトルネック、一般に言われていることへの違和感、実行の際の本当の押さえどころなどだ。お金では買えない知恵を一気に吸収したい。
コツ2:基本情報をスキャンする
一時情報から得た感覚をもちつつ、世の中の常識・基本的なことをある程度の固まりとしてダブりもモレもなく、そして素早くスキャンすることだ。取り組む課題領域における基本的な知識をざっと押さえておく。通常のビジネスで事業環境を検討する場合であれば、マイケル・ポーターの提唱したファイブ・フォース、
- 業界内部における競争関係
- 新規参入
- 代替品
- 事業の下流(顧客・買い手)
- 事業の上流(サプライヤー・供給企業)
と、
- 技術・イノベーション
- 法規制
を加えた7つについて見ていけば立ち上がりの段階としては十分だろう。
コツ3:集めすぎない・知りすぎない
意図的にざっくりとやる、つまり「やりすぎない」ことが肝要だ。情報収集の効率は必ずどこかで頭打ちになり、情報がありすぎると知恵がでなくなるものだ。これを「集めすぎ」「知りすぎ」という。
- 集めすぎ
- 情報収集にかけた努力・手間とその結果得られる情報量にはあるところまでは正の相関があるが、そこを過ぎると途端に新しい取り込みのスピードが鈍ってくる。これが集めすぎだ。大量に時間を投下しても、実効的な情報が比例して増えることはない。
- 知りすぎ
- ある情報量までは急速に知恵が湧く。だが、ある量を超えると急速に生み出される知恵が減り、もっとも大切な「自分ならではの視点」がゼロに近づいていく。「知識」の増大は、必ずしも「知恵」の増大にはつながらない。むしろあるレベルを越すと負に働くことを常に念頭に置く必要がある。
イシュー分析とは何か #
イシューを見極めただけでは「バリューのある仕事」は生まれず、あとは「解の質」を高めなければならない。
解の質を高め、生産性を大きく向上させる作業が、「ストーリーライン」づくりとそれに基づく「絵コンテ」づくりだ。この2つをあわせて「イシュー分析」と言う。これは、イシューの構造を明らかにし、そのなかに潜むサブイシューを洗い出すとともに、それに沿った分析のイメージづくりを行う過程だ。これによって最終的に何を生み出すのか、何を伝えることがカギとなるのか、そのためにはどの分析がカギとなるのか、つまりは活動の全体像が明確になる。
ストーリーラインと絵コンテは、検討が進むにつれてどんどん書き換えていく。最初は、イシュー検討の範囲と内容を明確にするために使い、次の段階では進捗の管理やボトルネックの見極めに生きてくる。最終段階ではプレゼンテーションや論文の仕上げに使い、全体のサマリーそのものになる。
検討プロジェクトがはじまったら、できるだけ早い段階でこれらの一次バージョンをつくる。3,4ヶ月のプロジェクトであれば、最初の週の最後、遅くとも2週目のはじめには第1次ストーリーラインをつくるというのが理想だ。
ストーリーラインづくり #
ストーリーラインづくりのなかにも2つの作業がある。ひとつは「イシューを分解すること」、もうひとつが分解したイシューに基づいて「ストーリーラインを組み立てること」だ。
イシューを分解する
多くの場合、イシューは大きな問いなので、いきなり答えを出すことは難しい。そのため、おおもとのイシューを「答えを出せるサイズ」にまで分解していく。分解したイシューを「サブイシュー」という。サブイシューを出すことで、部分ごとの仮説が明確になり、最終的に伝えたいメッセージが明確になっていく。イシューを分解するときには「ダブりもモレもなく」砕くこと、そして「本質的に意味のある固まりで」砕くことが大切だ。
たとえば、ゆで卵を分解する場合、サブイシューでは白身・黄身に分ける。ここでよくあるのが、スライスするようにおなじようなサブイシューばかり設定してしまうことだ。これでは何と何を比較し、何に答えを出そうとしているのかがわからない。
「イシューを分解するのは大変そうだ」と思われただろうか?幸いなことに、多くの典型的な問題の場合には、イシューを分解する「型」があり、それを使うことができる。問題の対象領域や所属業界に型がないか探してみるとよいだろう。
仮説はイシューを分解したあとでも非常に大切だ。イシューを分解して見えてきたサブイシューについてもスタンスをとって仮説を立てる。あいまいさを排し、メッセージをすっきりさせるほど、必要な分析のイメージが明確になるからだ。全体のイシューを見極めるときと同様に「フタを開けてみないとわからない」とは決して言わない。
ストーリーラインを組み立てる
分解したイシューの構造と、それぞれに対する仮説的な立場を踏まえ、最終的に言いたいことをしっかり伝えるために、どのような順番でサブイシューを並べるのかを考える。
典型的なストーリーの流れは次のようなものだ。
- 必要な問題意識・前提となる知識の共有
- カギとなるイシュー、サブイシューの明確化
- それぞれのサブイシューについての検討結果
- それらを総合した意味合いの整理
一連のプレゼンテーション、あるいは論文に必要な要素を整理して、流れを持った箇条書きの文章として統合していく。
ストーリーラインづくりは映画やアニメーションの脚本づくり、あるいは漫画のネーム作成に近いプロセスだ。脚本家も漫画家も新しいものを生み出す過程では七転八倒するというが、圧倒的な生産性を目指す私たちもここで知恵を絞りぬく。
できる限り前倒しでストーリーラインをつくると言うと「決め打ちですか、ここでたいしたアイデアが浮かばなければ終わりということですね」と言う人がいる。だがこれは大きな誤解だ。ストーリーラインは検討が進み、サブイシューに答えが出るたびに、あるいは新しい気付き・洞察が得られるたびに、書き換えて磨いていくものだ。問題を検討するすべての過程に伴走する最大の友人、それがストーリーラインなのだ。
- 立ち上げ段階:ストーリーラインが検討の範囲を明確にする。何が見極めどころ(カギとなるサブイシュー)であり、何を検証するためにどのような活動をするのか、という目的意識を揃えるために活躍する。
- 分析・検討段階:ストーリーラインは分析結果や新しい事実が生まれるたびに肉付けし、刷新する。ストーリーラインを見ることで、仮説の検証がどこまでできているかが明確になる。
- まとめの段階:ストーリーラインは最終的なプレゼン資料、論文を取りまとめる最大の推進装置になる。ビジネスのプレゼンであればサマリー、論文であれば最初の要約のベースになる。
ストーリーラインは生きものであり、分析もデータ収集もすべてはこれにしたがう「しもべ」に過ぎない。
絵コンテづくり #
イシューが見え、それを検証するためのストーリーラインができれば、次は分析イメージ(個々のグラフや図表のイメージ)をデザインしていく。最終的に伝えるべきメッセージ(イシューの仮説が証明されたもの)を考えたとき、自分ならどういう分析結果があれば納得するか、そして相手を納得させられるかと考える。この分析イメージづくりの作業を「絵コンテ」づくりと呼んでいる。
イシューを分解し、組み立てたストーリーラインはまだ言葉だけのものだ。ここに、具体的なデータのイメージをビジュアルとして組み合わせることで急速に最終的なアウトプットの青写真が見えてくる。
絵コンテづくりで大切な心構えは「どんなデータが取れそうか」ではなく、「どんな分析結果がほしいのか」を起点に分析イメージをつくることだ。ここでも「イシューからはじめる」思想で分析の設計を行うことが大切だ。「これなら取れそうだ」と思われるデータから分析を設計するのは本末転倒であり、これをやってしまうと、ここまでやってきたイシューの見極めもストーリーラインづくりもムダになってしまう。
「どんなデータがあれば、ストーリーラインの個々の仮説 = サブイシューを検証できるのか」という視点で大胆にデザインする。現実にそのデータが取れなければ意味はないが、そのデータを取ろうと思ったらどのような仕組みがいるのか、そこまでを考えることが絵コンテづくりの意味でもある。場合によっては既存の手法でやりようがないこともあるだろうし、大胆な工夫をする必要も出るだろう。このようにイシューの視点からデータの取り方や分析手法にストレッチ(背伸び)がうまれるのはよいサインだ。正しくイシューをベースに絵コンテづくりをしている証拠でもある。
実際の分析を進める #
イシューが見え、ストーリーラインができ、それに合わせて絵コンテができれば、あとはその絵コンテを本物の分析にしていく。ついに実際に走り出す段階だ。
最初に大切なのは、「いきなり分析や検証の活動をはじめない」ことだ。最終的に同じイシューを検証するための分析であっても、それぞれには軽重がある。もっともバリューのあるサブイシューを見極め、そのための分析を行う。ストーリーラインと絵コンテに沿って並ぶサブイシューの中には、必ず最終的な結論や話の骨格に大きな影響力をもつ部分がある。そこから手をつけ、荒くてもよいから、本当にそれが検証できるのかについて答えを出してしまうわけだ。重要な部分をはじめに検証しておかないと、描いていたストーリーが根底から崩れた場合に手がつけられなくなる。ここはストーリーラインのなかで絶対に崩れてはいけない部分、あるいは崩れた瞬間にストーリーの組み換えが必要となる部分である。それが終わったあとは、バリューが同じくらいであれば早く終わるものから手をつける。これがアウトプットを出す段階における正しい注力だ。
優先順位について理解したところで、次に念頭においておきたいのは、このステップで意味ある分析・検証は「答えありき」とは対極にある、ということだ。「イシューからはじめる、という姿勢でアウトプットを作成するように」と自分のチームの若い人にいうとかなりの確率で誤解が起きる。それは「自分たちの仮説が正しいと言えることばかり集めてきて、本当に正しいのかどうかという検証をしない」というケースだ。これでは論証にならず、スポーツでいえばファウルのようなものだ。フェアな姿勢で検証しなければならない。
伝えるものをまとめる #
検討報告の最終的なアウトプットは、ビジネスではプレゼンテーション、研究では論文というかたちをとることが多いだろう。これらは第一に聞き手・読みてと自分の知識ギャップを埋めるためにある。聞き終わったとき、あるいは読み終わったときに、受け手が語り手と同じように問題意識をもち、同じように納得し、同じように興奮してくれているのが理想だ。このためには、受け手に次のようになってもらう必要があるだろう。
- 意味のある課題を扱っていることを理解してもらう
- 最終的なメッセージを理解してもらう
- メッセージに納得して、行動に移してもらう
では、そもそも、話を聞いてくれる受け手は、どういう人たちだと想定すべきだろうか?
「デルブリュックの教え」というものがある。
ひとつ、聞き手は完全に無知と思え。ひとつ、聞き手は高度の知性を持つと想定せよ。
どんな会話をする際も、受け手は専門知識をもっていないが、基本的な考えや前提、あるいはイシューの共有からはじめ、最終的な結論とその意味するところを伝える、つまりは「的確な伝え方」をすれば必ず理解してくれる存在として信頼する。「賢いが無知」というのが基本とする受け手の想定だ。
そのうえで「イシューからはじめる」という当初から貫いてきたポリシーそのままに、シンプルにムダなく発表する。複雑さは一切要らない。意識が散るようなもの、あいまいなものはすべて排除する。ムダを削ぎ落とし、流れ構造も明確にする。「イシューからはじめる」世界では「なんとなく面白いもの」「たぶん大切だと思うもの」は要らない。
まとめ #
- イシュー特定のために情報収集する
- 基本情報や一次情報を入手する。ただし集めすぎにならないよう注意。
- スタンスをとって仮説を立てる
- イシューと仮説を言葉で表現する
- 検証結果が出たとき、その仮説は正しいのか間違っているのかが白黒はっきりつく表現が良い
- イシューを分解する
- ストーリーラインをつくる
- 絵コンテをつくる
- 実際の分析作業を実行する
- 伝えるのをまとめる