読書メモ:実践経営哲学

読書メモ:実践経営哲学

10 年ほど前に読んだことがある本。今回再読したので読書メモ。

私がささやかな姿で事業を始めてから、ちょうど六十年になります。六十年というと、人間であればいわゆる還暦、本卦帰りになります。生来病弱であった私が、この年までそれなりにやってこれたということはまことに望外の喜びです。そしてこの六十年の間に、当初わずか三人で出発したものが、世の多くの方がたのお引立てを得て、今日、関係会社を含めると十万人を超えるまでにいたりました。成功といえば非常な成功ですが、私にとってはこれまた思いもよらなかったことで、ただただ感謝あるのみというのがいつわりのない心境です。

本書は、そうした私の六十年の事業体験を通じて培い、実践してきた経営についての基本の考え方、いわゆる経営理念、経営哲学をまとめたものです。経営理念、経営哲学というと、いささかいかめしい感じもしないではありませんが、もとよりこれは学問的に研究したというものでもありませんし、体系的に整備されたものでもありません。あくまで実践的なものであり、私は経営というものは、このような基本の考えに立って行なうならば、必ず成功するものだと体験的に感じているのです。

その意味から、会社がちょうど六十周年という本卦帰りの年を迎え、いわば新しい第二の出発をしようというこの際に、こうした私の経営に対する見方考え方をまとめて、ご参考に供することもそれなりによいことではないかと考えて発刊するものであり、ご高覧いただければ幸いです。

昭和五十三年六月 松下幸之助


使命を正しく認識すること #

あらゆる生活物資、さらにはサービスとか情報といった無形なものを含めて、人々の生活に役立つ品質のすぐれたものを次々と開発し、それを適正な価格で、過不足なく十分に供給するというところに、事業経営の、また企業の本来の使命がある。いいかえれば、そういうところに “企業はなぜ必要か” という企業の存在意義があるわけである。

供給する物資なりサービスの内容は業種によりさまざまであっても、そのように事業活動を通じて、人々の共同生活の向上に貢献するということはあらゆる企業に通ずるものである。この根本の使命を見忘れた事業経営は真に力強いものとはなり得ない。

一般に、企業の目的は利益の追求にあるとする見方がある。確かに利益というものは、健全な事業活動を行っていく上で欠かすことのできない大切なものである。

しかし、それ自体が究極の目的かというと、そうではない。根本は、その事業を通じて共同生活の向上をはかるというところにあるのであって、その根本の使命をよりよく遂行していく上で、利益というものが大切になってくるのであり、そこのところを取り違えてはならない。

そういう意味において、事業経営というものは本質的には私の事ではなく、公事であり、企業は社会の公器なのである。

もちろん、かたちの上というか法律的にはいわゆる私企業であり、なかには個人企業というものもある。けれども、その仕事なり事業の内容というものは、すべて社会につながっているのであり、公のものなのである。

だから、たとえ個人企業であろうと、その企業のあり方については、私の立場、私の都合で物事を考えてはいけない。常に、そのことが人々の共同生活にどのような影響を及ぼすか、プラスになるかマイナスになるかという観点から、ものを考え、判断しなくてはならない。

“企業の社会的責任” ということがいわれるが、その内容はその時々の社会情勢に応じて多岐にわたるとしても、基本の社会的責任というのは、どういう時代にあっても、この本来の事業を通じて共同生活の向上に貢献するということだといえよう。

こうした使命感というものを根底に、いっさいの事業活動が営まれることがきわめて大切なのである。

経営は創造であること #

私は “経営” というものはきわめて価値の高いものだと考えている。それは一つの芸術といってもいいほどのものである。芸術というものを一つの創造活動であると考えるならば、経営はまさしく創造活動そのものである。

一つの事業の構想を考え、計画を立てる。それにもとづいて、資金を集め、工場その他の施設をつくり、人を得、製品を開発し、それを生産し、人々の用に立てる。その過程というものは、画家が絵を描くごとく、これすべて創造の連続だといえよう。その過程には、いたるところに経営者の精神がいきいきと躍動しているのである。その意味において、経営者の仕事は、画家などの芸術家の創造活動と軌を一にしており、したがって経営はまさしく芸術の名にふさわしいものだといえる。

さらに、経営というものはいろいろ複雑多岐にわたる内容をもっている。

分野ということ一つをとってみても、さまざまである。研究したり開発をする部門、それにもとづいて製造する部門、できあがった製品を販売する部門、あるいは原材料の仕入れ部門、そのほか経理とか人事といった間接部門がある。そうした経営における一つひとつの分野がみなこれ創造的な活動である。そして、それを総合し、調整する全体の経営というものもこれまた大きな創造である。

そうしてみると、経営は芸術であるといっても、それは絵画であるとか、彫刻であるといったように一つの独立したものでなく、いわば、その中に絵画もあれば彫刻もある、音楽もあれば文学もあるといったように、さまざまな分野を網羅した総合芸術であると見ることができる。

しかも経営というものは絶えず変化している。経営をとりまく社会情勢、経済情勢は時々刻々に移り変わっていく。その変化に即応し、それに一歩先んじて次々と手を打っていくことが必要なわけである。

だから、たとえば絵画のように、描き終えたら一枚の絵が完成するというのとは趣を異にしている。いわば経営には完成ということがないのであって、絶えず生成発展していくものであり、その家庭自体が一つの芸術作品ともいえよう。そういう意味において、経営は生きた総合芸術であるともいえる。

もっとも、だからといって経営をもって他の芸術より高しとするのではない。私が言いたいのは、経営もそれに匹敵する高い価値をもつものであるということである。

経営は生きた総合芸術である。そういう経営の高い価値をしっかり認識し、その価値ある仕事に携わっているという誇りをもち、それに値するよう最大の努力をしていくことが経営者にとって求められているのである。