フィリピン留学準備(?) - 精読についておまけ(意識の流れ手法)

フィリピン留学準備(?) - 精読についておまけ(意識の流れ手法)

December 25, 2019

前回の記事は精読の勉強についてでしたが、今回はそのおまけです。今回の記事は趣味要素が強く、英語の勉強とはあまり関係ないかもしれません。

前回書いた以外にも実はもう1冊テキストを買っていました。それが下記です。

「英文標準問題精講」旺文社 #

amazon リンク - 「英文標準問題精講」

精読の問題集です。前回の記事にて紹介した「基礎英文問題精講(3訂版)」の上のレベルのテキストにあたります。

タイトルに「標準」とありますが、決して惑わされないでください。非常にレベルが高く、フィリピン留学は当然のこと、大学受験ですら不要なテキストだと思われます。

掲載されている文章はどれも有名なものばかり。格調高い文章です。例えば下記作品の文章が問題として掲載されています。

  • 「幸福論」バートランド・ラッセル
  • 「すばらしい新世界」オルダス・ハクスリー
  • 「老人と海」アーネスト・ヘミングウェイ

掲載されているのは文学作品に限りません。例えば、アインシュタインの文章なども掲載されています。

…このテキスト、正直、もともと購入するつもりは全くなかったです。しかし、先の記事で述べた精読テキストを買っている最中にこの本をちらっと見たところ、索引ページに「意識の流れ手法」というワードが書かれていたのを見つけたのが購入したきっかけです。

意識の流れ

W.ジェームズの言葉で, “The Principles of Psychology” (1890) で用いられた。彼によれば,意識は絶えず変化していながら同一の人格的意識を形成しており,そのなかでは意識もしくは思惟は連続したものと感取されている。この変化しつつ連続している状態を彼は意識 (あるいは思惟) の流れと呼んだ。

文学では,従来の古典的小説の筋,性格,時間の枠を無視し,絶えず流動変化する人間の意識を根源的リアリティと考え,それを表現しようとする 20 世紀小説の手法をいう。

意識の流れ(いしきのながれ)とは - コトバンク

要するに、文学における表現技法のひとつと捉えてください。

私もたまに文学作品を読む程度には読書家のため「意識の流れ」という手法については耳にしたことがあり、いつか読んでみたいと思っていました。それがたまたま今回のテキストで目にしたため購入したという次第です。

以下「意識の流れ」についてさらに話を進めます。

意識の流れ(および、内的独白)について #

私が以前に読んだ「物語論 基礎と応用」(講談社)という本の中で解説がありました。引用します。

「誰が語るか」と話法

地の文は基本的には語り手によって語られるものだが、その中で登場人物のセリフや思考、感情などが表されることがある。それらはどのように表されるだろうか。これを表すのが話法である。話法はまず、間接話法と直接話法に分けることができる。

直接話法

  • He said “I will come back here to see you again tomorrow”
  • 「明日また会いにくるよ」と彼はいった。

間接話法

  • He said that he would return there to see her the following day.
  • 次の日彼女に会いに戻ってくると彼はいった。

直接話法では、人物のセリフを引用符号(日本語ではカギ括弧)で括る。

(中略)

間接話法とは、語り手が人物のセリフや内面を語ってしまうものである。

人物のセリフや内面を表す方法は、この二種類だけではない。十九世紀以降の欧米では「自由間接話法」と呼ばれる話法が広く使用されるようになった。また、二十世紀には「自由直接話法」と呼ばれる書き方も使われるようになっている。

自由直接話法

自由直接話法とは、主に「内的独白」と呼ばれる方法に用いられる話法で、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』で有名になった。これは三人称の地の文の中に、引用符号なしで人物の一人称の発話(特に内面のセリフ)を埋め込んでいくものである。例を見よう。

(1)The sun was nearing the steeple of George’s church. (2)Be a warm day I fancy. Specially in these black clothes feel it more. Black conducts reflects (refracts is it?) the heat. But I couldn’t go in that light suit. Make a picnic of it. (3)His eyelids sank quietly often as he walked in happy warmth.

(1)朝日がジョージ教会の尖塔に近づいている。(2)今日は暑くなりそうだ。こんなに黒い服を着ると特に暑さがこたえる。黒は熱を伝導し、反射(屈折だったかな?)する。しかしまさかあの明るい色の服を着ていくわけにも行かない。まるでピクニックのようになる。(3)幸福な暖かさのなかを歩きながら彼の瞳は何度も静かに閉じた。

原文を見ると、(1)の部分は、動詞が was と過去形で使われている。つまり、通常の地の文である。(2)では、一人称 I が使われており、人物が心の中で発した言葉である(日本語訳ではわかりにくいが)。続く分を見ると、動詞も現在形が使われているのがわかる。つまり、この部分は人物の施行を直接表しているものであり、自由直接話法である。(3)からは再び三人称と過去形が使われているので、地の文に戻っている。

(中略)

自由間接話法

自由間接話法とは、簡単にいえば形式上は地の文でありながら、作中人物の内面を抽出しているものである。一例を見る。

  • He would return there to see her again tomorrow.
  • 彼は明日彼女に会いに戻ってくるだろう。

時制と人称を確認すると、人物を表す三人称と過去形が使われており、基本的には間接話法である。しかし、最後が next day ではなく tomorrow になっているように、登場人物の発話的な要素も残されている。自由直接話法は登場人物の発話や思考を「直接」表出するのに対して、自由間接話法では語り手が登場人物のセリフ・思考を模倣して語る。このため、語り手が語っているようで人物の言葉でもあるようにも感じられる。実に曖昧な話法であり、その曖昧なところに特徴がある。次のように対比させてみよう。

  • “Am I happy?” 直接話法
  • She wandered whether she was happy. 間接話法
  • Was she happy? 自由間接話法

完全なる間接話法では、She wandered whether…のような形になるのに対して、Was she happy?とするのが自由間接話法である。この例のように疑問文が使われるパターン、感嘆文が使われるパターン、would, could など、法助動詞と呼ばれるものが使われるパターンなどがある。疑問や感嘆文は人物が抱くものであり、法助動詞も人物の推測や感情を表すことが多い。このように、人物の発話の要素が盛り込まれている分が自由間接話法であり、主に人物の内的感情を表現する際に使用される。

自由間接話法の効果

自由間接話法は、十九世紀から二十世紀の小説においてさかんに使用されてきている。中でもヴァージニア・ウルフやジェイムズ・ジョイスなど、「意識の流れ」と呼ばれる作風の作家に特徴的である。自由間接話法はどのように使用されているだろうか。一例として、ヴァージニア・ウルフのものを見てみよう。

  • For why go back like this to the past? he thought. Why make him think of it again? Why make him suffer, when she had tortured hi so infernally? Why?
  • なぜこのように昔にさかのぼるのか?と彼は考えた。なぜふたたびそのことを思い出させるのか?なぜこんなにまで苦しめるのか。もうとっくに地獄のような苦しみを味わわせたというのに。なぜだ?

(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』)

英語などの自由間接話法の効果は、日本語にはなかなか表しにくいが、できるだけ直訳に近い形にしてみた。原文を見てみると、一貫して三人称と過去形が使用されており、地の文の形式であるが、疑問文が使われ、人物の内面が表されている。

ウルフの自由間接話法では、同じ形式を繰り返すことによって人物の感情を表す。リズムが整っており、人物のセリフをそのまま表すのに比べて、語り手によってコントロールされている。引用部分では why が連呼されているほか、why make him が二度繰り返されているのが観察できるだろう。間接的な表現をとることによって、感情をそのまま出すのではなく、微妙に伝えられ、感情が抑えられているが、それによって詩的な言葉の流れが出来上がり、叙情性が出ている。

またウルフの『ダロウェイ夫人』や『灯台へ』などでは、複数の人物の意識が混淆して表される。この際、地の文なのか、それとも自由間接話法であるかが曖昧な文が用いられる。こうすることによって外界と意識との区別が曖昧になる。また、ある人物の思考からまた別の人物の思考に展開させることも多い。さまざまな人物の思考が重なることによって、一つの世界が描き出されるが、この場合、直接話法にしてしまうと曖昧さがなくなり、截然と分かたれてしまう。たゆたうような意識の流れが表されないのである。

「物語論 基礎と応用」

以上、引用でした。

ちなみに、この「物語論 基礎と応用」は物語論について説明した書籍です。引用をした上記部分では英語の表現について解説していますが、これはあくまでも書籍内の一部分の話です。念のために記載しておきますが、もし、英語の表現方法を学ぶためにこの本を買おう、と思った方がいましたら、それはやめておいた方が良いですよ。

ちなみに、物語論の意味は下記の通りです。

物語論(ものがたりろん、ナラトロジー、英語:narratology)は、物語や語りの技術と構造について研究する学問分野である。

物語論 - Wikipedia

(残念ながら英語の勉強にはなりませんが)この本、とても面白いですよ。「おもしろい物語はなぜおもしろいのか」を分析・説明しています。小説を読むのが好きな方は一度読んでみることをおすすめします。

amazon リンク - 物語論 基礎と応用

先の引用文の後、本文は以下の通り進み、次に日本語に関する説明に入っていきます。

ここまで、自由間接話法の用例として挙げたものは英語であった。英語の自由間接話法と同じような形式は、日本語では実現が難しいとされることが多い。日本語訳される場合にも、三人称が一人称に翻訳され、直接話法のようになっていることが少なくない。

日本語に自由間接話法に相当する形式がないと言われるのは、文法の形式が違うからである。実は日本語での語りの審級や焦点化の仕方は、大きく異なる部分がある。

次章で、この問題を取り上げよう。

「物語論 基礎と応用」

感想 #

話がずれましたが、「英文標準問題精講」は、フィリピンに持って行きたいなと思っています(荷物量的に可能であれば)。暇ができたときに、試しに1問トライしてみる、くらいの使い方ですけどね。そもそも暇な時間ができるのか不明ですし、結局、お守りみたいな扱いになってしまいそうですけれど。

あと、また話がずれますが、意識の流れの説明のなかで例示された、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』は、20 世紀の文学作品を代表する作品と言われていて、いつかは読んでみたいなあと思います。

ユリシーズ(Ulysses)

アイルランドの小説家 J.ジョイスの小説。 1922 年パリで出版。表題はホメロスの『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスの英語名で,この古代叙事詩を枠組みとして用いる。主人公レオポルド・ブルーム,その妻マリオンそしてスティーブン・ディーダラスは,それぞれオデュッセウスと妻ペネロペイア,息子テレマコスに対応する。 18 の挿話に分れ,ダブリンにおける 1904 年 6 月 16 日から翌日にかけてのわずか 1 日間の出来事を扱う。「意識の流れ」の手法をはじめ,きわめて多彩な技法を大規模に用いていることで知られ,ドス・パソス,V.ウルフ,T.ウルフ,フォークナーらに影響を与えた現代小説の最高峰の一つ。

ユリシーズとは - コトバンク

(…ただし、話がとても長く、かつおもしろくない、と言われています。)年老いたときにでもゆっくり読んでみようかな…。

ということで以上で終わります。読んでいただきありがとうございました。