わたし、会社辞めるってよ
September 23, 2019
2019 年 12 月末をもって会社を辞めることにした。
会社には非常に恩義を感じている。給料、福利厚生、施設をはじめとした労働環境もさることながら、何より人間関係がとても良かった。
それでも今回退職を決めたのは、仕事においてさらにレベルアップしたいと考えたからだ。端的に言うと、このまま働き続けていては、思ったように力が身についていかないだろうと感じ始めてしまったのだ。
とはいえ、一方的に会社を非難する気はない。自分がどのように働きたいかというのは人によってそれぞれ異なるし、さらには独身・既婚・育児中といった人生のステージによっても異なるだろう。一言で片づけてしまうのはあまりにも横暴だが、現在の私が目指している姿とは相性が合わなかったのだと考えている。
またこれは自己弁護になるが、思い立ったが吉日で感情的に退職を申し出たわけではなく、それなりに悩んだ末での決断である。外部環境に責任を押し付けず、自分の行動によって改善できることはないのかとも考えた。1年以上悩んだが、行動するならば若いうちに、ということで今回退職することにした。
以下、とりとめもないことだが、退職に際して感じたことを残しておく。
就職活動ならぬ退職活動 #
退職までのプロセスはどこの会社も次の通りだろう。上司に退職の意思を伝える → 面談を複数回行う → 紙面で正式な退職手続きを行う。私の場合もこれだった。
面談では「なぜ会社を辞めようと思うのか」を問われ、また大変ありがたいことに引き留めようとしていただける。
その面談で退職の意思が変わらなければ、さらに上位者と面談をする。あとはこの繰り返し。このプロセスを踏んでいる際、ふと就職活動を思い出した。考えるとよく似ている。
加えて、上記プロセスがとても不透明だというのもよく似ている。退職者からすると、あと何回面談を行えば退職が決まるのか、正式な退職書類はどのようなもので、いつ自分の手元に届くのかといったことがまったく知らされず、また社内でそのような情報を探そうにも見つけることはできない。ただしこれは会社の文化によるのかもしれない。
恩義を感じる分、辞めると伝えづらい #
上司に伝えるのはまだしも、同期や一緒に仕事をしている他部署や他社の方々に伝えるのはこの上なく心苦しい。親切にしてくださった分、とても、とても、伝えづらい。
同じオフィスで働くことはなくなってしまうかもしれないが、ぜひこの先も変わらず親しくお付き合いさせていただきたいと心から感じる。
あいつ、会社辞めるってよ #
上述の通り、辞める旨を伝えづらいと思い悩んでいる傍らで、噂はすぐに駆け巡る。関係している方々に順を追って伝えていこうと考えていたところ、最後の順番に到達する前にみんな知っていた。
所属しないという不安 #
幼稚園・小学校・中学校・高校・大学、スポーツチームや部活、そして会社。物心ついたときにはすでに何らかの組織に所属していて、これまでの人生ずっと組織に所属していた。
進路については最後に少しだけ記載するが、今回、会社を辞めた後すぐに次の会社に移るわけではないため、政治家よろしく無所属になるのである。
サルトルの言った「人間は自由という刑に処せられている」という重みをひしと感じ(※)、所属しないという不安を感じる最近だ。
※サルトルの本を読んだことはなく、言葉の意味を取り違えていたらご容赦ください。
なんやかんや寂しいものである #
会社をやめてせいせいするといった思いは悲しいかなまったくない。悲しいかな、と書いたのは、いっそそう思えたほうが楽だったからである。
自分の成長のためにも、今回自分が決めた道への歩みを止めてはならない。しかし、やはり大変お世話になった方々に別れを告げるのは寂しい。最近、気が付くと森山直太朗の「さくら」を聞いている。
今後やること #
まずは英語を集中的に学習しようと考えている。
私は IT 企業で働いていたのだが、この先も変わらず IT の分野で仕事をしたいと思っている。しかし、現在 20 代の私がこの先も長く IT 企業で活躍するためには、どこかのタイミングで本腰を入れて英語を身につけなければならないと感じた。
今回、良い機会のため、退職後の期間を利用してフィリピンに語学留学しようと思う。その後の活動についてもある程度の計画はあるのだが、それはおいおい話していくことにしよう。
我ながらなかなかの無鉄砲だが、これも主体性を育んでくれた会社の育成の賜物だと感謝している。恩義に少しでも応えることができるようこれから先もさらに頑張りたい。