読書記録 - 「自選 谷川俊太郎詩集」
November 3, 2019
以前の記事で「いつか詩集を読んでみようと思う。」と書いたので有言実行。詩を読むのは中学校の国語の授業ぶりであるし、詩集を読むのは人生で初めてである。
今回読んだのは「自選 谷川俊太郎詩集」。過去に書いた詩の中から谷川俊太郎ご自身が選んだ詩がまとめられている。2013 年に岩波文庫から出版。紹介文によると、これまで書いた詩は二千数百にわたり、本書にはそのなかから一七三篇を精選しているとのこと。
以下、作者紹介に続き、記憶に残った詩を引用する。
谷川俊太郎 #
谷川俊太郎(たにかわしゅんたろう)。1931 年、東京生まれ。詩人。
記憶に残った詩 #
これが私の優しさです #
窓の外の若葉について考えていいですか そのむこうの青空について考えても? 永遠と虚無について考えていいですか あなたが死にかけているときに
あなたが死にかけているときに あなたについて考えないでいいですか あなたから遠く遠くはなれて 生きている恋人のことを考えても?
それがあなたを考えることにつながる とそう信じてもいいですか それほど強くなっていいですか あなたのおかげで
「谷川俊太郎詩集」(角川文庫、1969)より
ほほえみ #
ほほえむことができぬから 青空は雲を浮かべる ほほえむことができぬから 木は風にそよぐ
ほほえむことができぬから 犬は尾をふり――だが人は ほほえむことができるのに 時としてほほえみを忘れ
ほほえむことができるから ほほえみで人をあざむく
「空に小鳥がいなくなった日」(サンリオ出版、1974)より
ゆうぐれ #
ゆうがた うちへかえると とぐちで おやじがしんでいた めずらしいこともあるものだ とおもって おやじをまたいで なかへはいると だいどころで おふくろがしんでいた ガスレンジのひが つけっぱなしだったから ひをけして シチューのあじみをした このちょうしでは あにきもしんでいるに ちがいない あんのじょう ふろばであにきはしんでいた となりのこどもが うそなきをしている そばやのバイクの ブレーキがきしむ いつもとかわらぬ ゆうぐれである あしたが なんのやくにもたたぬような
「よしなしうた」(青土社、1985)より
きみ #
きみはぼくのとなりでねむっている しゃつがめくれておへそがみえている ねむってるのではなくてしんでるのだったら どんなにうれしいだろう きみはもうじぶんのことしかかんがえていないめで じっとぼくをみつめることもないし ぼくのきらいなあべといっしょに かわへおよぎにいくこともないのだ きみがそばへくるときみのにおいがして ぼくはむねがどきどきしてくる ゆうべゆめのなかでぼくときみは ふたりっきりでせんそうにいった おかあさんのこともおとうさんのことも がっこうのこともわすれていた ふたりとももうしぬのだとおもった しんだきみといつまでもいきようとおもった きみとともだちになんかなりたくない ぼくはただきみがすきなだけだ
「はだか」(筑摩書房、1988)より
はな #
はなびらはさわるとひんやりしめっている いろがなかからしみだしてくるみたい はなをのぞきこむとふかいたにのようだ そのまんなかから けがはえている うすきみわるいことをしゃべりだしそう はなをみているとどうしていいかわからない はなびらをくちにいれてかむと かすかにすっぱくてあたまがからっぽになる せんせいははなのなまえをおぼえろという だけどわたしはおぼえたくない のはらのまんなかにわたしはたっていて たってるほかなにもしたくない はだしのあしのうらがちくちくする おでこのところまでおひさまがきている くうきのおととにおいとあじがする にんげんはなにかをしなくてはいけないのか はなはたださいているだけなのに それだけでいきているのに
「はだか」(筑摩書房、1988)より
誕生 #
頭が出かかったところで赤ん坊がきく 「お父さん生命保険いくら掛けてる?」 あわてておれは答える「死亡三千万だけど」 すると赤ん坊が言う 「やっぱり生まれるのやめとこう」 妻がいきみながら叫ぶ 「でも子供部屋はテレビ付きよ!」 赤ん坊は返事をしない 猫撫で声でおれは言う 「ディズニーランドへ連れてってやるぜ」 赤ん坊がしかつめらしくおれを見上げて 「世界の人口増加率は?」 知るもんかそんなこと 赤ん坊が頭をひっこめ始める 妻が叫ぶ「もうツワリはたくさん!」 おれは小声でドスをきかせる 「出てこないとお尻ピンピンだぞ!」 やっと赤ん坊がおぎゃあと泣いた
「詩を贈ろうとすることは」(集英社、1991)より
ふくらはぎ #
俺がおとつい死んだので 友だちが黒い服を着こんで集ってきた 驚いたことにおいおい泣いているあいつは 生前俺が電話にも出なかった男 まっ白なベンツに乗ってやってきた
俺はおとつい死んだのに 世界は滅びる気配もない 坊主の袈裟はきらきらと冬の陽に輝いて 隣家の小五は俺のパソコンをいたずらしてる おや線香ってこんなにいい匂いだったのか
俺はおとつい死んだから もう今日に何の意味もない おかげで意味じゃないものがよく分かる もっとしつこく触っておけばよかったなあ あのひとのふくらはぎに
「詩を贈ろうとすることは」(集英社、1991)より
おに #
こどものころは つのなんか はえてなかった ふさふさの まきげだった おにごっこして あそんでた
ひとに いじめられて だんだん つのが はえてきた だんだん つめが のびてきた なくことも わすれてしまった
「ふじさんとおひさま」(童話屋、1994)より
足し算と引き算 #
何もないところに 忽然と立っている ひとりの女とひとりの男 そこからすべては始まる
青空? よろしい青空をあげようと誰かが言う そしてふたりの頭上にびっくりするような青空がひろがる 地平線? よろしい地平線をあげようと誰かが言う そしてふたりの行く手にはるかな地平線が現れる
その誰かが誰かはいつまでも秘密 ふたりはただ贈り物を受け取ることができるだけ それからはこの世の常で ありとあらゆるものが降ってくる お金で買えるものもお金で買えないものもごたまぜに
ふたりはとりあえず椅子に座る 椅子に座れるのは幸せだ 次にはテーブル それがいつの間にか見慣れたものに変わっていくのは幸せだ 朝の光の中でふたりはお茶を飲む いれたてのお茶を飲むのは幸せだ だが何にもまして幸せなのは かたわらにひとりのひとがいて いつでも好きなときにその手に触れることができるということ
昔はそんなのはプチブル的だなんて言う奴もいた でも今じゃみんな知ってる 幸せはいつだってささやかなものだってこと 不幸せはいつだってささやかなんてものじゃすまないってこと
しかし幸せはいったいどこまでささやかになれるんだろう? この当然の疑問に答えるために ふたりは茶碗をたたきつける テーブルをぶっこわす 椅子を蹴倒す この世の常なるものをなにもかも投げ捨てて 青空を折り畳み地平線を消してしまう そして少し不謹慎かもしれないがすっぱだかになる
驚くべきことにそれでも幸せはちっとも減らない ひとりの女とひとりの男は手に手をとって 我ながら呆然として 何もないところに立ち尽くす
すると時間の深みからまたしても あの秘密の誰かの声が聞こえる 「なんにもないのになにもかもある それこそ私の最大の贈り物 それを私は愛と呼ぶのだ」
「真っ白でいるよりも」(集英社、1995)より
我慢 #
テレビをお菜に今日もぼくは飯を食う 死ぬまではどんなことが起ころうと ふだんと同じように飯を食いクソをさせてもらう 砂漠の兵隊たちだってそうするしかないにちがいない
その合間にミサイルも射つのだろうが それはもちろん敵味方とも信念に基づいて射つのである ぼくにはそんな信念の持ちあわせがないから うろうろしながら我慢してるだけ
これは答ではなくただの態度であるに過ぎないが 答というものをぼくは信用していない 特に割り切った答はどれもこれもうさんくさい 疑問が複雑であればあるほど人は素朴な答を求めがちだ
素朴な答は単純な感情とセットで売られる それを買うほどお人好しではないつもりだが わけ知り顔の床屋政談も気恥ずかしい テレビをお菜に今日もぼくは飯を食う
「真っ白でいるよりも」(集英社、1995)より
ああ #
ああ あああ ああああ声が出ちゃう 私じゃない でも声が出ちゃう どこから出てくるのかわからない 私からだじゅう笛みたいになってる あっ うぬぼれないで あんたじゃないよ声出させてるのは あんたは私の道具よわるいけど こんなことやめたい あんたとビール飲んでるほうがいい バカ話してるほうがいい でもいい これいい ボランティアはいいことだよね だから私たち学校休んでこんな所まで来てるんだよね でもこのほうがずっといい どうして 苦しいよ私 嬉しいけどつらいよ あ 何がいいんだなんてきかないで 意味なんてないよ あんたに言ってるんじゃない 返事なんかしないで 声はからっぽだよこの星空みたいに もういやだ ああ ねえあれつけて 未来なんて考えられない 考えたくない 私ひとりっきりなんだもの今 泣くなって言われても泣いちゃう ああ あああ いい
「夜のミッキー・マウス」(新潮社、2003)より
あのひとが来て #
あのひとが来て 長くて短い夢のような一日が始まった
あのひとの手に触れて あのひとの頬に触れて あのひとの目をのぞきこんで あのひとの胸に手を置いた
そのあとのことは覚えていない 外は雨で一本の木が濡れそぼって立っていた あの木は私たちより長生きする そう思ったら突然いま自分がどんなに幸せか分かった
あのひとはいつかいなくなる 私も私の大切な友人たちもいつかいなくなる でもあの木はいなくならない 木の下の石ころも土もいなくならない
夜になって雨が上がり星が瞬き始めた 時間は永遠の娘 歓びは哀しみの息子 あのひとのかたわらでいつまでも終わらない音楽を聞いた
「夜のミッキー・マウス」(新潮社、2003)より
ひも #
うまれてからこのかた ひもにはあたまもしっぽもなく ふたつのはじっこがあるだけだった
いろあせたこいぶみのたばを くくっているあいだはよかったが わけあってこいぶみがもやされ もうむすぶものもしばるものもなくなると ひもはすっかりじしんをうしなった
ひきだしのおくでひもは へびになるのをゆめみはじめる ちゃんとあたまとしっぽがあるへびに
へびになれたら ぼくはにょろにょろとおかにのぼろう そしてとおくのうみをながめよう しっぽがもうかえろうといいだすまで
「すき」(理論社、2006)より
ひも また #
ほそいしなやかなおんなのゆびで ちょうむすびにしてもらえたら…… それがひものひそかなねがい
でもわごむはそんなひもをあざわらう ひもにむかってわごむはさけぶ おまえはもうじだいおくれだ せろてーぷはだまってきいている それぞれにやくにたてばそれでいい それがせろてーぷのたちば
せんそうがはじまると ひももわごむもせろてーぷも てきみかたのくべつなく にんげんのためにはたらいた
そのささやかなはたらきが へいわをもたらすことにはならなかったが
「すき」(理論社、2006)より
感想 #
詩集ではいろいろな詩が掲載されているが、こうやって好きなものを抜き出してみると、愛を扱った作品も多く残り、我ながら意外であった。案外、私はロマンチストなのだろうか、あるいは寂しがり屋か。